八幡様と芭蕉

月日は、百代の過客にして 行きかふ年もまた旅人なり。こんにちは、俳カーの「ながと尾芭蕉」です。

松尾芭蕉は、「野ざらし紀行」で次のようなことを記しています。

松葉屋風瀑がちょうど伊勢に居合せたのを尋ねて行って、十日ほど滞在した。私の姿は、腰に短 ず だ ぶくろ刀一つ差さず、首に頭陀袋をかけ、手に数珠を持ってい る。僧のようだけれども、俗人めいており、俗人のよう でいて頭に髪を結っていない。そんな格好の私は、僧で はないのだが、髪を結わないものは僧侶の仲間とみて、 神前に入ることを許されない。

神社には、ふたつの系統があって、「仏様と一緒でもいいよ」という系統と「仏様と一緒はいやよ」という系統があります。八幡神社は、「仏様と一緒でもいいよ」という系統で、僧侶の格好に近い芭蕉は、心を許せる神社でした。だから、全国の八幡神社には、たくさんの芭蕉の句碑が残っています。

日置八幡宮 芭蕉句碑

私の氏神様の長門市の日置八幡宮にも、芭蕉の句碑があります。

春もやや けしきととのふ 月と梅

【現代語訳】長い冬が過ぎ去って、梅が咲き始めた。それだけでも十分春を喜ぶのだが、加えて月も出た。

【季語】梅(春)

ここで一句

ふた芭蕉 心を許す 八幡様 作:ながと尾芭蕉

【現代語訳】松尾芭蕉もながとを芭蕉の2人とも 心を許しているのは八幡様だな。

【季語】バショウ(初秋)

東京都江東区芭蕉記念館前のバショウ

バショウは、バショウ科の熱帯植物。長円形の大きな葉は、風雨にさらされて簡単に破れてしまいます。これを秋の季語としたのは、この葉の弱さが秋風と相まって、「もののあわれ」を誘うせいであります。

 

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