鎌倉殿と芭蕉と八幡さま

月日は、百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。こんにちは、俳カーのながと尾芭蕉です。

芭蕉は、大の源氏オタクで、死んだ後は、墓を隣にという遺言を残したほどです。(芭蕉の源氏オタクについて詳しく)さて、源氏オタクの芭蕉ですが、普段僧侶を格好をしているので、普通の神社は、なかなかお参りができませんでした。唯一お参りしやすい神社としてして、八幡さまがありました。八幡さまは、源氏の氏神様を祀っている神社です。

ほとんどの神社が南向きに建てられているのは、ご存知ですか?それは、なぜか?

西向き社殿の日置八幡宮

太鼓の昔社殿はなく、人々は、岩の上に鏡を置いて反射した光を神として崇めました。

八咫鏡 - Wikipedia
八咫鏡(やたのかがみ)Wikipediaより

太陽の光を反射させて神とするわけですから、光は、強い方がいい、長い時間あったほうがいい。するとその方角は、南。ですよね。光がもっとも強く、最も長く日照時間が長い方角、それは、南。だから神社は南向きなのです。

なのに、長門の八幡宮の向きは、様々。東向きもあれば、西向きもあります。それは、日置八幡宮の方角を向いています。日置八幡宮は、北浦屈指の古社です。藤原北家の流れをくむ三条家の荘園があった日置荘の御鎮座で、その建立は鎌倉以前と言われています。長門の八幡宮の中心的存在だったから、長門の八幡様は、日置八幡宮の方角を向いているので、バラバラなのです。

さて、その中心的存在の日置八幡宮の方角は、というと・・・・。

なんと、西向きです。南向きではない。

これは、鎌倉殿の関係があります。鎌倉時代の元(モンゴル帝国)の大群が、朝鮮半島から押し寄せてきたとき、西日本一帯の八幡神社は、一斉に西向きにしたそうです。源氏信仰の八幡神社は、モンゴル軍の次の襲来に備えての最前戦基地となったのです。(以上:日置八幡宮 高山敏洋 宮司談)そのため、朝鮮半島に対峙するように、西日本の八幡宮は、一斉に西向きになったそうです。長門は、戦後朝鮮半島から引き上げ港となった仙崎港があるくらい朝鮮半島が目と鼻の先です。当時の人々たちの恐怖心は、計り知れなかったと思います。

日置八幡宮にある南向きに位置する鳥居 元寇以前の参道の名残ではないか?(高山宮司 談)

ここで、一句

西向いて 楠木のみぞ 思い出す 作:ながと尾芭蕉

【季語】楠木 初夏 

【現代語訳】八幡様には、御神木の樹齢何百年という楠木があル。鎌倉時代の元寇の時に社殿を西向きにしたことを この楠木だけが つい先日のように生き証人として思い出すことだろう。

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