歴女(れきじょ)ならぬ歴男(れきだん)芭蕉
月日は、百代の過客にして 行きかふ年もまた旅人なり。こんには、俳カーの ながと尾芭蕉 です。
松尾芭蕉がもし、現在に生きていれば間違いなく「戦国バサラ」のようなゲームにハマっていたでしょう。つまり武将Loveの芭蕉は、死後は、好きな武将の墓の隣に埋めてほしいと言い遺す「やばい武将オタク」でした。
かの有名な俳句にも芭蕉の武将愛が伝わってきます。
「夏草や 兵ものどもが 夢の跡」
【現代語訳】
夏草が生い茂っている、ここは、源義経たち勇士が奮闘した、夢の跡なんだ。
上記の俳句からもわかるように、特に芭蕉の源氏Loveが有名です。芭蕉が死後は、隣に埋めてほしいと懇願した武将は、源氏でも木曽義仲(源義仲)でした。
さて、源氏ゆかりの神社といえば、八幡宮です。長門市にも八幡宮があります。神仏習合の神さま(八幡大菩薩)を祀っている神社は、坊さんの格好をした芭蕉がお参りしやすい神社でした。
そんなことから、長門市の八幡宮にも芭蕉の句碑が残っています。(詳細は、こちら)
また、源平合戦の壇ノ浦の戦いで没した二位の尼の遺体が流れ着いたことから、その名がついた二位の浜海水浴場が日置八幡宮から車で5分のところにあります。透明度日本一とも言われています。
写真 長門市HPより 日置八幡宮宮司によるつゆ払いの儀
ここで一句
夏海や 兵どもの 夢の果て 作 ながと尾芭蕉
【現代語訳】
夏の海開きをするこの二位が浜は、源義経や平宗盛が争いの中で二位の尼(安徳天皇の祖母・平清盛の妻)が、入水し流れ着いた浜だ。平家がめざした夢の果て(海の下にあるという極楽浄土という都)は、まさに透明度ナンバー1と言われる美しい浜そのものかもしれない。
写真 ながと観光なび ななび より